新ゴーマニズム宣言SPECIAL
『戦争論』の帯には
「描き下ろし384ページ」
と書かれていますが、厳密には
8ページ再録の作品があります。
第5章『南の島に雪が降る』
初出はSAPIO 1997年2月5日号です。
ただし、私はこれを「再録」と
言うのは正確ではないと思っています。
この8ページに、
376ページを加筆した作品が
『戦争論』だと言うべきです。
それほどまでに、この8ページには
『戦争論』のエッセンスが全て
入り込んでおり、本全体の中核と
なっているのです。
その出発点は、筆者よしりん自身の、
お祖父さんとの記憶にあります。
戦争末期の南の島で、
息も絶え絶えの兵隊たちの
生きる支えとなった
演劇部隊の一員だった祖父。
その様子は、漫画によって
情緒たっぷりに描かれています。
正直に言うと、加東大介氏の本では
当事者の筆だとかえって
そうなってしまうのか、
舞台に雪が降るシーンは案外淡白な
描写に留まっているのですが、
『ゴー宣』では目いっぱい情感込めて
描いています。
このシーンは、何度見ても泣けてきます。
そして、祖父や戦友たちを、
戦後の人間たちが「悪」として
断罪する風潮に対して、
「わしは祖父たちを守らねばならぬ」
とよしりん先生は決意します。
そして、あの時代に
戦地に赴いた祖父たちを
「すごいと思う」と称えます。
そして、『ゴー宣』で
オウムと戦い、薬害エイズに
取り組んだ経験から、こう
悟ったといいます。
「人は個人を超えねばならぬ時がある。
自分の身だけじゃすまぬ時がある」
そして、「個人」とは
社会のヨコ軸と歴史のタテ軸の
交差する一点に成立するものであり、
「歴史を持つ者こそが人間」
だと唱えます。
これは、『戦争論』のテーマである
「個と公」に直接つながっています。
このように、よしりん先生自身の
経験から出発し、思考を重ね、
祖父たちへの情を復活させるとともに、
「公」を持つ「個」を育てよと
主張したのが『戦争論』です。
ところが、これを、
渡部昇一の『かくて昭和史は甦る』という
著書一冊を「ネタ本」にして描いた
などと言ってくるバカがいるのだから、
めまいがしてきます。
よしりん先生の個人的経験と
それに基づく思想が、
渡部昇一の著書の
どこに書かれていると
言うのでしょうか!?
バカもここまでくると、
哀れとさえ思えてきます。
新宿ホスト風・自意識過剰系・
下司の極み・読解力ゼロライターの
古谷経衡は、情緒も論理も
全く理解できず、
ほんの上っ面の部分だけなでて、
「『戦争論』なんて、
所詮こんなもんだったんだよ!
もう小林よしのりなんか、
卒業したわーい!」と
ほざいているわけです。
いや、ツネヒラちゃん、
あんた卒業どころか、